痛みを抱えたまま

中学3年生になったある日の練習中、股関節がずれる怪我をした。痛みはあったが、それでも気にせずハードルを続けた。

しかし、痛みはだんだんと悪化していった。歩くだけでも痛みを感じるようになり、夜中に目が覚めて親に泣きつくこともあった。

「せっかくここまで来たのに、なんで自分なんだ」

そう何度も嘆いた。

サボっていると言われ続けて

冬季練習の時期だったこともあり、まともに練習ができない日々が続いた。走ることも、思うように動くこともできない自分を、周囲は「サボっている人間」だと見ていた。

その言葉を何度もかけられながら、練習に参加できないまま冬を過ごした。

別の接骨院へ

いつも通っていた接骨院では、「筋肉が悪い」と言われ続けた。それでも痛みは治らないままだった。

そんなとき、知り合いから「骨に強い」と評判の接骨院を教えてもらい、訪ねてみることにした。そこで告げられたのは、股関節がずれているということだった。

「4ヶ月は走れない」

そう言われ、走ることを諦めて治療に専念することにした。

予選、そして決勝B

治療を続け、どうにか走れるところまで戻ってきた。迎えた大会、予選は通過することができた。

しかし、思うような走りはできず、決勝はB決勝に回ることになった。B決勝は3位以内に入れば県大会出場のチケットが手に入るというものだった。

結果は4位。あと一つ、届かなかった。

とても悔しくて、監督の胸で泣いたのを今でも覚えている。

それからも続けたハードル

県大会を逃した後も、大きな大会はなかったが、それでもハードルを続けた。記録は少しずつ伸び、最終的には18秒台まで届くようになった。

そして、引退試合の日がやってきた。祖母が応援に来てくれていた。これが本当に最後のレースなんだろうと思いながら、精一杯走りきった。祖母と母は会場に来てくれていたが、父の姿はなかった。「そんなもんだろう」と、その時はそう思うようにしていた。

引退後に知った理由

引退した後は、受験に向けて動き出した。うちの親はもともとよく喧嘩をすることがあったが、あるとき、それまでとは違う一日以上続く喧嘩があった。そして静かになったあと、母から告げられたのは「離婚するね」という言葉だった。

原因は、父の不倫だった。しかも、不倫があった日は、自分の引退試合の日だったという。「仕事」と言って会場に来られなかった理由は、そこにあった。

いろいろなことを言われる中で、頭にあったのは「受験のこんなタイミングなのに」ということだった。もともと受験には弱く、精神的にも大きく落ち込んでいった。

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はじめまして、みーです。 放課後等デイサービスで働きながら、農福連携の活動として屋上で野菜づくりにも取り組んでいます。 小学生の頃に不登校を経験し、その後も転職や仕事、人間関係など、たくさんの遠回りをしてきました。 このブログでは、不登校の経験、放課後等デイサービスでの仕事、農福連携、保育士資格への挑戦、そして日々の学びを発信しています。 同じように悩んでいる誰かが、「自分だけじゃない」と思えるきっかけになれたら嬉しいです。