[中学生編①]中学1年生。緊張に負け続けた、陸上部での一年間
中学1年生になり、まず怖かったのは「また不登校にならないか」ということでした。
でも、もともといた友達がそのまま中学生に上がったこともあって、学校自体には案外すんなり通うことができました。
問題は、部活動でした。
サッカー部がなかった
僕はもともとサッカー部で、中学でもサッカーを続けるつもりでいました。
でも、入学してみるとサッカー部がありませんでした。
焦りました。
しかも、ちょうど部活動の体験期間に親戚の葬儀が入ってしまい、他の部活を見て回ることもできませんでした。
そうして、なんとなく流れで入ることになったのが、陸上部でした。
あとから知ったのですが、そこはちゃんとしたコーチが3人もいる、いわゆる強豪校でした。そんなことは知らずに入ってしまいました。

緊張に負ける癖
最初は長距離をやっていましたが、きつくてすぐに心が折れ、短距離に移りました。
短距離では、1年生の中でも上位に入るくらいのタイムを出せていました。
でも、サッカー部の頃からあった「緊張に負ける癖」が、ここでも顔を出しました。
リレーの選抜がかかった練習で、「この人に勝ったらリレーに選ばれてしまう。選ばれたら大会に出ないといけない。」
そう思ってしまい、ゴール直前でわざと手を抜いて負けました。
その様子を見ていたのは、小学生の頃から仲良くしてくれていた先輩でした。
「おい、なぜ手を抜いた。サッカー部の時から気にはなっていたが、陸上部はすぐわかるぞ。」
そう言われました。
ばれたことよりも、その先輩を失望させてしまったことが、とても悲しかったです。
サボっていると思われて
その後、練習を重ねるうちにシンスプリントになりました。
それでも監督には「それでも来い」と言われ、練習に行くことしかできませんでした。
走ることができず、筋トレしかしていなかった僕は、それを見た周りから「サボっている人間」だと思われてしまいました。
とても悔しかったです。
大会直前の捻挫
次の個人の大会を控えたある日、体育の授業で後転をした際に、首を捻挫してしまいました。
親と病院に行き、「走るの禁止」と言われたとき、正直、心がほっとしたのを覚えています。
そのことに気づいた親から、
「やっぱりあんたはそうなんだね。」
と言われました。
「しょうがないじゃないか。」
そう言い返しましたが、親は唇をかんでいました。たぶん、これで緊張に対する自分の気持ちが少しは治るだろうと思ったんだと思います。
夜、監督に相談すると、「そんな怪我なら来い」と言われ、結局大会会場には行くことになりました。
首にコルセットを巻いて会場に行くのは、とても恥ずかしかったです。
友達や先輩が頑張っている姿、応援している姿を見ながら、自分はその輪の中に入れないんだと悟りました。
初めての大会
10月、初めて出た大会では、監督から200mに出るよう言われました。
すごくどきどきしました。どんな感じだろうと、何度も考えました。
分からないことは、大会当日の動き方そのものでした。電車に乗るのも初めてで、大人がいないとなると、中学生ながらとても心配になりました。
日が近づくにつれて、「雨が降って中止にならないかな」と願っていましたが、陸上は雨でもやると知って、ショックを受けました。
当日は、家の近くの駅に友達と集まって向かいました。チケットの買い方も知らず、友達に迷惑をかけてしまいました。
会場に着くと、1年生としてのルールや、出場の仕方、アップの仕方などを教えてもらいました。
スパイクで会場に足を踏み入れた瞬間、「こんな感じなんだ、友達が言っていたのはこういうことだったんだ」と、改めて実感しました。
運動会とは違う緊張感、服装の恥ずかしさ、会場からの視線。呼吸が荒くなるほど緊張しました。
自分の番が来て、スタートすると、仲間の声が聞こえました。心臓の音、荒い呼吸、仲間の声。いろんな新鮮さがありました。
走り終えて仲間のところに戻っても、記録を教えてもらっても、それが良いのか悪いのか自分では分かりませんでした。
家に帰ると、親から「よく大会に出れたね、頑張ったね」と言われました。
他の人にとっては簡単に出られるものかもしれませんが、僕にとってはとても勇気のいる一歩でした。
そして、このとき気づいたことがあります。
チームプレイより、個人種目の方が、何も考えずに、怒られずに済む。
その「楽さ」に、少しほっとしている自分がいました。
ハードルへの転向

月日が流れ、大会もいくつか経験して、シーズンが終わり、陸上部は冬季練習に入りました。
体力づくりと筋力づくりのために、チーム全体でハードル練習をしていたときのことです。
監督に呼び出されました。
「お前、ハードル出てみないか。」
最初は、ハードルなんて体育でやる程度のものだと思っていました。
でも、監督から「競技人口も少ないから、上位に入りやすいぞ」と言われ、訳も分からず「はい」と答えてしまいました。
そこから練習が始まりました。基本的なドリルから始めて、少しずつ本数を跳べるようになっていきました。
そして3月、初めて計ったタイムは24秒。とても遅いタイムでした。
でも、これが僕の「ハードル」との始まりでした。